春の、夕暮れ
春の日の夕暮 中原中也
ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を云(い)えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を云(い)えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが
瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです
これから春の日の夕暮は
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです
中原中也の詩に、初めて出会ったのは
中学2年生の時だった。
こちらもちょうど多感なお年頃。
目に見える実在するものの中に
何か目に見えないものが潜んでいるように思えて
しかも、それらがひとつひとつ
人格を持っている様に思えたのだ。
無論、住んでいる時代も環境もまるで違うので
そこに記された光景を
実際に自分が味わうことは不可能だけれども
底辺にある、何とも不思議と湧いてくる言葉の魅力に
私は次第に魅かれて行った。
自室の窓から見渡せる、春の日の夕暮れ。
見慣れてはいても
その光景をぼんやりと眺めていたら
ふっと、冒頭の詩が思い出され
私の知らぬ別の光景を、どこかうっとりと思い
想像の中に遊ぶ自分を楽しんでしまった。