風のつばさ

思いのままに吹く風に乗って、今日はどこに飛んで行こう♪

一線

明日から始まるGW・・・。
とはいえ、ウチは何も変わらぬ日常だけど。

結婚後、もうかなりの時を経ていても
先方の「家」のしきたりや土地の風習など
脈々と受け継がれているものに

私はどうしても、なじむことが出来ない。

故郷に戻れば、夫も土地のヒトになってしまうので
結局、私が同行したとて孤独感を強めるばかりで
しかし、そこに居らねば多大な文句が飛んでくる。

方言もよくわからないし
表面的には上手に交わっている様に見えたとて
後を向けば、正反対のことを言われてる。

だからこれはもう、全てにおいてニコニコしながら
黙っているに限る、と悟り
何もしない、何も言わないことが一番だ、ということがわかった。

そして、こと、「食」においては
親の片方が異国で生まれ、異国で育ったことも
私にとっては「アタリマエ」なことが

日本の、保守的、あるいは閉鎖的と言われる地方にあっては
珍しがって、寛容に受け入れられるか
あるいは、徹底的に排除されるかのどちらかだ。

ひとつの大皿に盛られた大人数の家庭料理に
個々が自分の箸を伸ばし
競い合って口に運ぶことが
どうしても、私には「美味しい」と感じられない。

ましてや、私には食物アレルギーがあるので
たとえ隠し味に…といえど、生姜が用いられたり
あるいは卵を入れた料理が出されると、それら全てが食べられない。

だったら、ひとり、台所で塩結びを握り
お茶で静かにいただく方が、よほど助かる。

だから、私が乳がんになった時も
夫が配慮して、彼の実家には一切、それに関することは伝えなかった。

そしてまた、私が信仰を持ったことも。



決心して引いた、大きな一線。

盆・暮れ・正月・夫の両親それぞれの誕生日
父の日・母の日・春秋の彼岸に3連休、そしてGWにSW...

夫もそれら全てが休みという職業ではなく
私もシフト勤務の時代があったので
暦と彼の家の都合に、休みを合わせることは出来ず

ならば、何と言われても仕方がない。

それでいながら
「あなたはもっと社会で活躍してくれる人かと思った」
とか
「職業で嫁に選んだのに」
とか、さらりと口にされると、こちらも勿論
いい気持ちなんかしない。

でも、ヒトの価値観・世の基準なんて
所詮、そんなものなんだなぁと思う。
だから誰に何を言われようが
それはその人ごとの価値基準。

私は私で、主が導かれる道を歩むのみ。。。


人生の通過地点を見て
あーじゃこーじゃと文句を言うより
私はしっかりと終わりの時を見据え
主だけを見上げよう、と
今朝は、祈りの中で、深くそう思った。