風のつばさ

思いのままに吹く風に乗って、今日はどこに飛んで行こう♪

台北:ノスタルジア 九份

ヒト、というもの。

実際に自分がその時代に生きずとも
また記憶が培われる以前のことにしても
いわゆる過ぎし日の良き時空に思いを馳せて
懐旧の念を覚えることがある。

その地を訪れ、どこか親しく
懐かしい思いを抱いたのは、私だけではあるまい。

どうしても、夜に行きたかった。
いや、正確に言えば、昼間より夕暮れ時以降のその場所を
歩いてみたかったのだ。

台北の街を離れ、概ねバスで1時間ちょっと。
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途中、高速道路を通り、バスは一気にスピードを上げていく。

車窓からの風景が、どんどん移り変わって行くのを
遅い午後の明るさの中で、ぼんやりと眺めながら行くのも
また楽しいものだと思う。
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山間の道を登って行くと、小高い山の上に
灯りのともるエリアが突然、現われた。
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バスを降り、あとは徒歩でその地に向かう。
平坦に整えられた駐車場からは、目指す場所までの坂道と階段があり
どちらを進むかは、目的と体力に合わせて、好きな方を選べばいい。

早速、右に折れたところにキリスト教会があり
流石に人々が集まりやすいところに建てられているのだな、と思いつ
祈りはどこででも積まれているのを知る。

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とうとうたどり着いた九份。
ウチから、どのくらいかかっただろう。
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いいあんばいに夕暮れ時を迎え
雰囲気満点!の提灯のあかりが、訪れた人々の心をつかむ。

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いにしえの人たちの尽力と労苦と
そして今なお、ここに住む人々の生活を、思う。

九份は、台北から約40km東に位置する、山間の町。
かつては9つの世帯しかなく
誰かが町へ行く時は、その人に用事を頼み
町から何かを持ち帰る時は
必ず9世帯分、買って来た、ということが
「九份」と呼ばれるようになった由来とのこと。

もとは小さな小さな寒村だったそうな。
19世紀の終わり頃、金の採掘が始まったことで
ゴールドラッシュでこの地も栄え
多くの人々が集まって来たそうな。

1971年、金鉱閉山。
それに伴って、この町も衰退の道を辿ることになる。

ヒトもマチも、その運命が
どこでどうなっていくのかなんて、全くわからない。

時が流れ、映画祭でグランプリを受賞した映画のロケ地となり
一躍、脚光を浴びるようになると
再び、今度は観光客がやってくるようになった。

日本でも、宮崎アニメのモデルになった町として知られるようになってから
随分と多くの日本人が訪れているという。
私はそのアニメは知らないけれど。。。


韓国語を話す若者たちが、自撮棒を巧みに用いて
あちこちで群れて写真を撮っている。
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あぁ、この光景・・・
確かに旅行のパンフレットやガイドブック
あるいは、ネットのHPなどには、必ず載っている場所だものね。

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はは~ん、ここが宮崎アニメのモデルとして
用いられたところか。。。
日本語で「あめおちゃ」なんて書いてある。
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階段の中腹にある、レトロ感満載!の建物の中で
お茶を味わうのもよかろう。
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日没と共に、そのどこか懐かしいあたたかな灯りを求めて
どんどん人々が集まって来た。
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観光客相手の土産物屋が並ぶ店を横目に
ひとまず、どこにも立ち寄らず
登って来た階段を右に曲がり、展望台に行ってみる。

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オイデオイデと誘いをかける赤い提灯のあかりではなく
そこには、人々の暮らしを感じさせる家の灯りと街灯があった。
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そういえば、階段を曲がらずに
真っ直ぐ登り切ってしまえば、そこには小学校があるのだっけ。。。
子どもたちの足も、日常の中で鍛えられるはずだわ。

再び、観光ルートの王道に戻ってみる。
台湾とはいえ、北部の山中とあらば
当然、気温だって高くはない。

飲食物を扱う、各店舗からは
もうもうと白い煙が上がり、程よい香りが漂う。

私は、いくら記念だからとて
使わないものは一切、買わない。
だけど、その場でしか食せないものは、味わってみたい。

臭豆腐の特有の香りには、一瞬、顔をしかめたくなるけれど
日本の納豆だって、いいあんばいにニオウからね。
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平地に暮らす人たちとは違って
この町に住む人は
普通に動くだけでも、注ぎ出す労力は相当だと思う。

体が欲するエナジー源は
やはり、肉と穀物をがっつり、だろうか。

豚だって、その血までをも調理する。
もち米に豚の血を練り込んで蒸かし、ピーナッツの粉と香草
そしてお店特製のタレをたっぷりかけたものが好んで食される。

勿論、私も大好きだ。
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そして、とりの丸焼き。
どのように調理するかは、それぞれの好みだろう。
せめて、首から上は落としてもらいたいけれど。。。
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その店内には、若い女性たちが集い
賑やかな話し声と笑い声に満ちていた。

そうそう!
坂の町、九份で見つけた看板猫。

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観光客たちのカメラにも動じず
そして、媚びることもない。
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その隣では、温かい柚子のお茶を売るお店があり
持ち帰りの容器が
日本の有名なアニメの主人公であることに気がついた。

一体、誰が買うんだろ、なんて思っていたら
夫の手に、それが握られており
「ストローを取ったら、吸い口が哺乳瓶みたい~」って
口角を上げてニヤリ、と笑う。・・・きもいゼ、夫くんっ。
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先に飲んでいいよ、と手渡され
グイッと吸い上げたら、温かい、どころか
熱い柚子茶が流れ込んで来て、何気にビックリ。

そして、素直に、美味しかった。

更に道なりに歩いていくと
土地の名物と言われている、いわば「草餅」のようなものが売られていた。
あずきのあんこは苦手なので買わなかったけれど
高菜や大根が入れられた餅は、信じられないほど、美味しかった。
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見た目はシンプルだけど、こんなに美味な草餅は、初めてだ。

お土産に持ち帰りたかったけれど
リミットは明日まで、だそうで、泣く泣く断念。

2時間近くうろうろと歩き回り
すっかり体も冷えてしまったので
タロイモやカボチャなどが練り込まれた
小さな丸餅入りの甘味をいただく。
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「熱いですから、火傷をしないように気をつけて」と
日本語で丁寧に言われ、ハッとした。

そういえば、もうひとつだけ、その味が気に入って
土産に買おうかどうしようかと迷っていたものがある。
非常にデリケートな食品なので、持ち帰りを渋っていたら
「おねえちゃん、ちゃんと箱に入れてあげますよ」と
かなり年配の女性が奥から出て来て、綺麗な日本語でそう言った。

そういえば、台湾は昔、日本の植民地だったんだっけ。

私たちが普段、使っている日本語は
すっかり平成の世に染まっているけれど
確かに、昭和生まれの私にとっては
幼き頃、祖母や叔母たちが話していた日本語は
本当に美しいものだったなぁ、と改めて思う。

そして、私は、こういうものが好きなのだ、と
しみじみ思った。

かつては、祖父も祖母も叔父や叔母たち
そして父も居て、厳格な中にもあたたかな食卓があったけれど
今ではすっかり嗜好も変わり、肉親も母だけどなった。

書類1枚で家族となった夫など、わざわざ自室に食事を運び
TVを観ながら食しているのだから
言い知れぬ淋しさが、日常の中で、ふと襲う。

九份の町には、それを補うあたたかさが
どうやら満ちていた様だ。
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