台北:西門紅楼 (シーメンホンロウ)
台湾:台北の朝。
6時半に朝食を済ませ、きっかり1時間後には
ホテルを出て最寄りの地下鉄の駅に向かう。
列車に乗る前に、どうしても一か所だけ
見ておきたいところがあった。
西門紅楼、シーメンホンロウ
ここは、日本人建築家:近藤十郎の設計により
1908年に台湾で初めて、政府によって建設された公営市場である。
建てられてから、100年以上の時が過ぎた。
当時、この周辺にはお墓が多かったこともあり
悪い運気を遠ざけて、八方からのエネルギーが集まるようにと
その後方の市場の主体となる部分には
キリスト教の十字架の形を模した
「十字架造形」を取り入れたという。
こうした設計は東西建築史上初めてのものだったらしい。
出来上がった市場の姿を見て
集まって来た人々は、あまりの斬新なデザインに
さぞ驚いたことだろう。
そして、レンガ造りの紅楼は、西門町のシンボルとなり
この町は日本人の移住専門エリアになったそうな。
第二次世界大戦を経て、日本は敗戦。
ミレニアムの年に、紅楼は火災に遭うも
基金による再建築、各種団体の支援などもあって
今の姿に生まれ変わったという。
現在は、ショップやカフェ、展示館
そして八角形部分の2階は劇場となっている。
*詳細については、こちらをどうぞ♪
【西門紅楼】
生きていれば100歳近い、叔母の連れ合いだった叔父も
長年、この地、台湾で生活していた人だった。
昭和40年代・50年代には、頻繁に日本と台湾を行き来していた。
そのたびにいろいろなものを持ち帰り
自宅には、いかにも価値がありそうな置き物が、ずらりと並び
叔父の指や首、そして叔母の首元、指や耳元には
いつも本物の輝きを放つ装飾品が光っていた。
その叔父は、私が二十歳になった頃
帰らぬ人となった。
子どものいない叔母夫婦の家に、遺品整理の手伝いに行った時
多くの写真を見つけた。
その中に、赤レンガ倉庫のような写真があり
「あぁ、台湾ね」と叔母が何気に口にしたのを
ふっと思い出したのである。
かなり古びたその写真に写っていたものは
もしかしたら、この紅楼ではなかっただろうか。。。
時間が早過ぎて、ショップもカフェも
開いていなかったけれど
外壁の煉瓦に触れて、何か懐かしい思いになった。
レンガの積み方、並べ方、窓枠取りに、屋根のフォルム
補強のための柱なども、緻密な計算がなされつつも
見事なデザインと融合し、細部まで見事だな、と思いつつ
ぐるりと建物の周りを一周してみた。
部分的に修理工事がなされているのだろうか。
レンガのひとつにも、刻まれた歴史を思う。
そして、紅楼の両側には、広場があり
イベントスペースや、夕刻からオープンするパブがあった。
オブジェのこちら側から紅楼を眺め
古き良き時代のひとこまが
この場にもちゃんと残されているのかもしれない、と
思ってしまった。